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(旧)サークル・ダルメシアンのブログ

ストレスの原因とは
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    9月17日(日)のサンデーモーニング(TBS)の番組の中で、飲酒運転にまつわる特集をしていました。
    たまたま朝テレビをつけたらやっていたのです。
    私は、こんなに全国で飲酒運転による事故が多いのか?
    と思いながらも番組を見ていると、ある居酒屋のシーンが出てきました。
    内容は、東京郊外の居酒屋である男女3人が遅くまでお酒を飲み、かなり酔っ払って店を出たあと飲酒運転をするのか?しないのか?という現場をカメラは追っていました。
    そこで驚いた事に(まるでやらせのように)彼ら3人は酔っ払いながらも駐車場に向かい、車に乗ったのです。
    その行為に対してサンデーモーニングの取材陣が、「先ほどまであちらの居酒屋でかなりのお酒を飲んでいましたよね?今車を運転して帰ると言う行為は飲酒運転だと思うのですが、それでも車で帰られるのですか?」と尋ねる。
    すると声をかけられた酔っ払いが「いいだろう、うるせえな!!」見たいな事をいったようで、その後取材陣の説明によると、「彼らは車の中で一度寝て、酔いを醒ませてから車を運転して帰るようにと、説得しましたが、さて彼らはどうするのでしょうか?」と、さも他人ごとのように言いながら、取材陣がカメラをまわして見張っていると、「やっぱり彼らは飲酒運転をしました。あー車が駐車場から出て行き姿が見えなくなりました」と、去っていった車を追いかける事もなく、「こんな風に平気で飲酒運転をしてしまうのです」と言うレポーターの言葉で終わってしまいました。

    私は大変驚き、一瞬狐に化かされたような気分になりながらも、今テレビを通じて目撃した事件をもう一度冷静に整理してみました。
    _慎い覆靴縫謄譽咾鬚弔韻拭別楹个瓩燭个りで、気分はリラックス状態だった)
    飲酒運転により家族を失い、悲しみの遺族の訴えを聞いた(辛いだろうな?と思った)
    0酒運転による死亡事故が増えていると知った(そうなんだ、そんなに多いのか?と初めて真剣に認識した)
    い修慮總綾劼留覗を見た(はぁ?数分前に見た遺族の悲しみが残っていて、この番組おかしいんじゃないの?と矛盾を感じた)
    ゲ魴茲覆終わった場面に(取材の在りかたにすごく腹が立った、この怒りをどこにぶつければよいのか?と考える)
    μ椶料阿濃件が起こった(なぜ取材陣が現行犯逮捕しないの?飲酒運転で人が死んでいると報道してるのに、彼らは人の心があるの?)
    Д謄譽喩崛箸鮑遒辰TBSに直接抗議の電話をする(休日のために留守番電話対応だったが、その後事件は解決したのか否かを知らせて欲しいとメッセージを残した)
    ┌厳遑横案(水)まだTBSからの解答は帰ってこない(ストレスを抱えたくないのでブログの記事として問題提議する)

    私はサンデーモーニングの担当者宛てに、「今の番組での飲酒運転の犯人はどうなったのか?現場を目撃した取材陣は、きちんと車のナンバーまで控えて警察に通報して、犯人逮捕に至ったのか?その後の経過をきちんと教えて欲しい」と、メッセージを残しましたが、未だに番組担当者からは何の解答もありません。
    なんら動きがありましたらまたブログにて経過報告をしたいと思っています。
    私達はこのように何でもないところから「ストレス」の原因になるものを日々無意識に受けています。
    ストレスが多い社会の原因の一つは、このようなマスコミによる中途半端な報道にもかなり原因はあると私は考えています。
    また実際にテレビ関係者のカウンセリングもしていますが、テレビを製作する側の人間の心はかなり病んでいます。
    だからこそ、ゆがんだ報道として関係のない人間を巻き添えにして病の連鎖を引き起こしているのでしょう。
    私のストレス解消法は、受けた相手に必ずなんらかの形で、「ストレスをかえす」と言う事をしています。
    でないと今の世の中は、いくらその場は立ち直ったように見えていても、自覚できないところで次から次にいろんな角度からストレス攻撃を受けるのですから、簡単には立ち直れないのが現状です。
    ストレスをかえす事が、ストレスを溜めない事につながり、またストレスは受けた相手に直接ぶつけ返さない限り、決して解消はされないからです。
    しかし、それが出来るのはやはり強い心を持っている人でないと無理でしょう。
    私の元にカウンセリングを受けにこられる人もまた、初めはとても心が弱っています。
    私は、そんな彼らの過去の整理と共に、ストレスを受けないように心に盾を作る方法や、受けたあとの解決方法も同時に教えています。
    そうする事により皆さん「強い心」を持つようになり、ストレスを跳ね返せるまでに成長してくれるのです。

    岡田ユキ



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    | ユキ通信 | 09:52 | comments(2) | trackbacks(2) | - | - |
    世代間の負の連鎖を断ち切る
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      私の体験に限らず、戦後の日本人の家庭教育は大変な間違いがあったように思います。
      先日もある勉強会で講師の先生の幼少期の体験を話していただきました。
      その体験というのが、親には大変可愛がられて育ったものの、学童疎開があったり、道を行けばいろんなところに人間の死体があり、その死体をまたいで通ったなどど話しておられました。
      私はそのお話を聞いていて大変恐ろしいと感じました。
      なぜならば、幼少期から人間の死体が子供の身近なところに転がっていて、その死体をまたぐことが出来る感覚とは、私からすれば「異常」と言う他ありません。
      しかしこの先生は幼少期から何度も人間の死を目の当たりにされて、その時の体験が先生の人格を形成していく上で、根本にもなってきたことでしょう。
      私たちはそのような年代の親たちに育てられてきたと言う事を、決して忘れてはいけないということです。
      戦争という異常な体験を持つ親に育てられてきた私たちの年代は、親の言うことがさも正しいように子供時代から教えられてきました。
      しかしその教育の中にはかなりの矛盾点があります。
      そして私が多くの人に今声を大にして言いたい事は、日本には「悪い親」が多すぎると言うことです。
      そこから始めない限り、現代社会の問題の原因を知る事はできないと私は考えています。
      同時に日本復興と共に「無責任な大人」も多く生み出してしまいました。
      今思えば、私たちが学校教育を受けてきた恩師と呼べる方々も本当に「恩師なのか?」疑問です。
      私が過去に書きましたブログの記事で、「恩師との再会」があります。
      しかしその記事にはまだ続きがあるのです。
      私の小学生時代の恩師、玉子先生は80歳の高齢です。
      ですが、私の苦しみを知り過去に自分が私と母の間に教師として介入していればよかったのに?と後悔してくださいました。
      その後先生と幾度となく電話で話していますと、先生の口から驚く言葉が出てくるのです。
      「いくら酷い母親でも親は親だから、いつかは母親と和解をしなさいね!」と平気で私に言われるのです。
      しかしよくよく考えてみると、そう思うのであれば「じゃあ玉子先生が私と両親の間に立って橋渡しをするべきでは?」
      と思います。
      私がなぜ玉子先生に数十年ぶりに連絡をして苦しみを先生に吐き出したのか?
      全く理解されていない「無責任さ」にあきれてしまいます。
      悲しいことに玉子先生は、きっと何も気付いていないのでしょう。
      それだけ80歳という年齢は重ねていても、人間力として考えると自分の事しか考えられないのです。
      ではなぜ他人を思いやれないのでしょうか?
      そこには玉子先生が現実から逃げた過去があるからです。
      玉子先生は私の母校に赴任される前、結婚をされていたそうです。
      夫婦の間には一人息子さんがいたそうです。
      しかし先生の結婚生活は幸せではなく、ご主人があまりにもだらしのない人だったために離婚を決意されたそうです。
      離婚の条件としてご主人から、一人息子を置いてゆく事を言い渡されて、仕方なく先生は息子さんを手放されたそうです。
      それ以来息子さんとは二度と会うことなく、結果「息子を捨てた」という後悔で長年苦しんできたのだそうです。
      その息子さんに対して「許して欲しい」と願う思いが、私が自分の親を許すことで過去の教師としての過ちも消え、また先生が捨てた息子さんに許されるような気持ちに転嫁して、楽になりたいのでしょう。
      しかし私から言わせれば、どうして私が先生の過去までも背負わなければいけないのか?ということです。
      また玉子先生のように、息子を捨てなければいけない母親の感覚は、私には理解できません。
      どのような状況になっても母親になったのだから、たとえ夫婦関係が上手くいかず自分が楽になりたいと思っても息子を捨てる決断をするのは、私は間違っていると思います。
      私の周りにも玉子先生と同じ状況で子供を捨てて離婚している人がいます。
      彼女たちは決まって「仕方がなかった」という言葉を使います。
      そして私の前で、我が子を思い出してはさも自分が悲劇の主人公のようになります。
      私からすると「仕方がなかった」というのは言い訳であり、「自己中の身勝手」としかいいようがありません。
      自分が強ければ、母親としての自覚があれば、いくらでも選択肢があったと思います。
      現に私を含め、多くのシングルマザーは苛酷な現実と向かい合いながら、必死で子育てをし母親としての責任を果たしています。
      中には別れた夫と裁判をおこしながら我が子を自分の手で育てたいと、必死で戦っている母親の姿もあります。
      この玉子先生と私の関係はほんの一つの事例に過ぎませんが、このような関係が、現代の悪い日本を作ってきた原因の一つだと私は考えています。
      私たち現親世代が、シルバーと呼ばれている世代に責任を取らされる生き方を一日も早く気づいて、彼ら自身に責任を取ってもらわなければいけないのです。
      日銀問題や、薬害エイズ、年金流用問題他、どうして私たちの年代が問題を背負わされて責任をとる必要があるのでしょうか?
      そこをしっかりと見極め、断ち切っていかない限り、私たちの大切な子供たちがどんどん狂ってしまうのです。
      私の元にカウンセリングを受けにこられる方々の苦しみの原因は、「悪い親」と「無責任な大人」の責任を転嫁されてきた純粋な子供たちばかりなのです。
      「虐待死」事件や「放火殺人」、「親殺し」はこの辺でもうやめにしませんか?

      岡田ユキ


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      | ユキ通信 | 13:47 | comments(1) | trackbacks(1) | - | - |
      愛犬(ダルメシアン)のトラウマ
      0
        feebee

         我が家には今年9歳になるメスのダルメシアン犬がいます。
         この犬を見ていると、生活環境とはとても大切なものだと言う事を、改めて教わります。
         月日が経つのは早いもので、9年もの間、人間と犬が同じ場所で生活をしていると、いろんな事が発見出来るものです。
         中でも面白い事は、私達人間のほうが少し犬っぽくなっていて、逆にダルメシアンのほうがやたら、人間ぽくなってきていると言う事です。
         ですが、私達がそのようになってしまったのには、ちゃんと訳があったのです。
         今から約9年前に、ブリーダーさんから買った愛犬のダルメシアンは、偶然にも私と同じように、実の母犬から虐待を受けていたのです。
         本来ならば子犬は、生後三ヶ月たってないと親元から離せないのですが、愛犬のダルメシアンの場合は、母犬が育児拒否をしてしまった為に、子犬達が母犬のおっぱいを吸おうとすると、母犬は怒って子犬に噛み付き、怪我までさせてしまうので、一ヶ月で母犬と離されて我が家に来たのです。
         その為に私と息子は、普通の子犬の場合とは少し違い、まだ赤ちゃんで未熟すぎ、躾をするのに必要以上に手がかかるため、その子犬と一緒に暮らすことが大変だったのです。
         物事を教える際に犬の場合は、叩いて躾をしなければいけない時もあります。 私と息子も動物虐待をするつもりは全くないのですが、愛犬がまだ物事をきちんと憶えられる年齢に達していない時期の躾だった為に、私や息子のすることが、少しやりすぎのように感じてしまったのでしょう。愛犬のトラウマが度々飛び出して、私と息子はその都度、痛い思いをさせられました。
         いくら赤ちゃんであっても、動物の本能なのでしょうか。愛犬ダルメシアンは、母犬とのトラウマの傷がかなり深かったのか、身の危険の感じ方は凄いもので、まるで私と息子に殺されると思ってしまうのか、野生に戻り牙をむき出しては、私達を攻撃してくるのでした。
         おかげで私達親子は、何度もダルメシアンに、真剣に噛まれて怪我をさせられました。
         しかし私は、愛犬の気持ちが痛いほど判る為に、野性に戻ったあとは必ず優しい言葉をかけて、抱きしめてやりました。
         どうすれば心の傷ついた愛犬に、私達が危害を加えるつもりはなく、家族の一員として迎えたいと思っている気持ちを伝えればよいのかと、息子と一緒に考えながら色々な事を試して、気が付けば自然に、心が通い合っていたのです。
         先に書きました私の苦しい時代も、この愛犬のサポートがあったからこそ、乗り越えてこられたと私は思っております。
         時には私の母親の代理をしてくれて、そして友人や可愛い私の娘になってくれる、息子に対しては、私の留守中は親の代理をしっかり任せられて、息子の兄妹や友人としての役目を十分に果たしてくれました。
         そして私はこの愛犬によって多くの事を、逆に学ばせてもらいました。
         例えば、或る日仕事を終えて私が自宅に戻ると、私のお気に入りのブーツが履けないくらい、ボロボロになっていました。
         勿論犯人は愛犬であり、私がブーツを見て怒り狂っているのが愛犬にも解っている為に、そんな日は玄関に私を迎えにも出て来ないのです。
         しかし私はこの思いを、直接愛犬にぶつけないと気が治まらず、隠れている愛犬を探し出して、文句を言いながら同時に愛犬を何度もぶつのです。
         自分の怒りが最高潮に達して「あんたなんか大嫌い、あっちいけ」と言って、愛犬を遠くへ押しやると彼女は、自分でも悪かったと思っているのでしょうか、私と怖くて面と向かえず、お尻のほうから恐る恐る私に近づき、私の身体のどこかにお尻をすり寄せてくるのです。
         その行為がまた気に障るので、私は何度もはね除けます。
         しかし愛犬もめげず、私に叩かれ押されても、諦めず何度も同じ行為を繰り返し続けるのです。
         そんな事を一時間程繰り返しながら私は、次第に自分の行為が馬鹿らしく思えてくるのです。
         同時に「自分は素直じゃないな」と気付かされ、最後は逆に私が愛犬に謝まってしまうのです。
         このような事が9年もの間に幾度となくあり、「許すこと、許されること」を愛犬から学んだ私は、他人との人間関係においてとても役立っています。
         育ててもらっていたのは、結局私のほうだったみたいです。
         愛犬はいつの間にか、私の言葉をしっかりと理解しており、そんな愛犬に向かって私は愚痴を言ったり、日々の出来事、友人、仕事、子育てについて相談もしました。
         特に子育ての相談をした後なんかは、必ず私を助けて、朝、息子を起こしてくれたり、泣いている息子をかまってくれたりして、私たちの親子関係をサポートしてくれました。
         そんなふうに愛犬は、人間の私とは同じ言葉は話せませんが、私の話す言葉の意味をしっかりと理解していて、言葉では自分の思いを伝えられない代わりに、態度で私に示してくれるのです。
         今の日本社会に多い言葉と態度の違う人には、人間の言葉を話すことの出来ない動物と、コミニュケーションを取ることによって、自分の欠点が見え、他人に思いやりのある心が芽生えてくるのではないでしょうか、これがまさにアニマルセラピーなのです。
         嬉しい事に愛犬は、私以上に私のクセや行動パターンを知り、常に観察してくれているので、間違った事が出来ないのです。
         また面白い事に、私が京都弁を日常的に話す為、叱るときは京都弁でないと通じないようです。そしていつの間にか、子犬だった愛犬ダルメシアンも、人間の歳で言うと私の年齢を越してしまいました。
         今では母犬のトラウマもすっかりなくなり、人間や犬と言う言葉ではなしに、同じ動物どうしの「愛情」で育くまれ、その結果私達は一つの家族になったのです。

        岡田ユキ
        〜冊子「虐待死をまぬがれて」より抜粋〜


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        | ユキ通信 | 02:35 | comments(7) | trackbacks(1) | - | - |
        虐待防止に全力を注ぐ
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          幼少期に家庭内で酷いイジメにあってきた私は、高校中退して16歳から働き始め23の時にできちゃった結婚をしました。
          夫は酒癖が悪く、日々暴力を振るわれた私は逃げるようにして12年前に7歳の息子と2人で上京してきました。一人息子は小学2年生にあがったばかりでした。京都では明るい子どもだったのに、なぜか暗い子になってしまいました。
          「新しい学校は?友達は?」「あまり好きじゃない、今日もケンカした」学校から帰ると外にも出ず、家の中で一人寂しく遊んでいる息子の姿に、私は大きな不安を持ちました。或る日その不安を解決するために私は、勇気を持って担任の先生に様子を伺いに行きました。すると驚いた事に学校での息子は「急に人を叩いて何を考えているのか分からない」と言われ、些細なことから取っ組み合いに発展するらしく担任の先生も息子の不可解な行動に困り果て、どうすればよいものか?と悩んでおられたのです。
          幸い息子の小学校は5月に運動会がありました。「今ケンカの原因を突き止めなければ」との思いから参観し、息子の姿を追いかけていると案の定私の目の前でケンカが始まりました。しかし一部始終を見ていた事で、予想もしていなかった事実が分かり大変驚きました。そのケンカの原因とは、関西生まれの息子のコミニュケーションのとり方が、関東の子ども達には理解出来なかったのです。
          つまり関西人のコミニュケーションは、仲良くなればなる程漫才の掛け合いのように「つつく」「なでる」というようなスキンシップをするのです。それは誰に教わる訳ではなく、関西圏で生まれ育っていれば、大人でも子どもでも自然に身に付くコミニュケーションの方法なのです。
          また親しくなる程、相手の身体により触れて「貴方とは仲良しですよ」と表現するのです。当然京都生まれの息子にもそのDNAは入っており、東京での新しいクラスに溶け込もうと息子なりに必死で、友人達とのコミニュケーション作りに努力していたのです。
          ですが先生をはじめクラスの子ども達は、関西人の習慣を理解出来ずに息子のことを、暴力的な人間だと誤解してしまったのです。それに気付いた私は、こんなことでイジメに繋がるなんて「生まれ育った習慣の違いを理解出来ない事は、なんと恐ろしい事か?」と実感しながら、それならば「よし、わかった!今日は運動会やし」と息子の手を取り2人で子ども達の輪に飛び込み、親子の会話をしながら関西人のコミニュケーションの方法を見せたのです。すると私たち親子の会話を見聞きしていた子ども達は、「わぁ、TVの漫才と一緒だ」と言って、笑い出したのです。この日を境に息子のクラスメートは「関西人」である息子の習慣を理解し、受け入れてくれるようになりました。息子との母子家庭の生活は、決して楽なものではなく想像以上に、苦しいものでした。
          家庭環境の違いによるイジメに始まり、その後も息子の学力低下によるクラスでの落ちこぼれ、チック症など様々な問題が生じました。ですが息子を巻き込んだ問題が起こるたびに、私にとっては自分自身の生き方や考え方を見直す良い機会でもあったのです。私はそのように捕らえて、息子と共に乗り越えてきました。
          初めの一歩を踏み出せたおかげで私たち親子の人生は、苦しんだ分だけそのあとにくる幸せは大きなものとなりました。そんな今までの体験を活かして、現在私はカウンセラー、音楽療法家として仕事をしています。また児童虐待防止の市民活動団体サークルダルメシアンを立ち上げて、「虐待の恐ろしさ」を訴えています。

          岡田ユキ
          (季刊誌i・MAいま第21号より)


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          | ユキ通信 | 02:17 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
          ブログカウンセリング〜新藤教授よ、よく聞きなさい
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            政治とは、なんだろうか
            政治とは、なんだろうか
            新藤 宗幸

            今日はとても面白い体験をしました。
            サークルダルメシアンの代表として、某シンポジウムにスピーカーとして参加させて頂きました。
            テーマは「自治体における安心と安全」というもので、メインスピーカーは某国立大学のS教授でした。
            話はいたって真面目な話ではあり、現在のおかしくなってしまった日本をこれからどのように立ち直らせればよいのか?
            三位一体改革、マニュフエスト、などでした。
            S教授は政治学が先行で政治にみるナニナニと言うような著書をいくつか出され、
            また日本の政治の中枢の方々と一緒に様々な法案なども作っておられるという事でした。
            初めは、会場で主催者のお薦めと、教授がどのような方かが楽しみで、受付で販売されていた著書を半分強制的に買うことになり、ななめ読みしながら、「なるほど」と思ってお会いできるのを楽しみにしていました。
            ところが定刻が過ぎても教授は会場に姿を見せず、主催者の方が連絡をとられたのか教授が連絡してきたのか判りませんが、会場の場所が分からず道に迷っているとの事が参加者に伝えられました。
            ようやく会場に姿を見せた教授は会場に入ってくるなり、「今日は何しゃべるんだよ、会の趣旨も見えないし、腹へってるんだよう」の言葉に、私は耳を疑いました。
            それから「何を話しするのか良くわかんないからもういいだろう」みたいな会話があり
            当然会場に会費を支払って参加している人の手前、主催者側の人間が必死に教授に本日の会のテーマや趣旨を皆の前で説明しながら、我儘放題の教授をなだめすかして、やっと教授の講演が始まりました。
            私にとって、教授の話で興味深かったことは、あらゆる分野の職業倫理をいつから日本人は無くしてしまったのかということや結果の平等、機会の平等などの話でした。
            「馬鹿な国民はいつから自分で物事を考えなくなったのか、無責任な行動を取り、自分の失敗や罪を他人になすりつけるようになったのか」など、まさに最近のテレビ報道で騒がれている姉歯建築事務所がらみの話がでました。
            教授の講演の後、スピーカーが順番に話し始め私の番が来たので、私は児童虐待防止の活動を通して見えてきた、S教授が言われた「馬鹿な国民」を作っている原因のいくつかを事例と共に話しました。
            その一つとして、当ブログの「NHKに一言」で書かせて頂いた、ゆがんだ報道のあり方による洗脳。
            ニ、心理業界の実体験のない憶測や欧米的心理学のとらえかたのまちがい。
            三、「早期教育」で書いた、企業の利益追求による早期教育の後遺症など。
            すべては私の見て来た真実や体験を通しての話をしました。
            するとそこで教授が、私たちの活動を含め、底辺の活動をしている人たちは、すべて「たこつぼだ」といわれました。
            そして私に向かって「蛸壺の中だけでお山の大将になっているからだめなんだ!」
            と言い切られたのです。
            そこで私が解釈した「蛸壺」の意味は、小さなつぼにタコが入っている、すなわち小さな世界だけで生きているということなのかな?と思いました。
            しかし私は、ここ十年もの間自分探しのために多くのボランティア団体に参加して、そこで私の解釈した「蛸壺」的な活動をされている方々も多く見てきました。
            だからこそ、それでは何も変わらないと思ったからこそ、現在の活動はそれらの数々の体験をもとに、新しく効果のある活動を展開しています。
            そして現実に多くの成果がこの1年半の間に結果として出ています。
            そこで教授曰く、「蛸壺は、横のつながりを作らないんだよ」との言葉でした。
            確かにその言葉は私たちも活動をしていく上で多くの「心関係」や「虐待防止」と看板を上げている法人格の団体は、全くといって良いほど横のつながりを持とうとはしませんでした。
            それは実際私たちが足で一件一件歩き見てきた体験から言えることです。
            そしてそこで見えた事は、そのような団体の多くが初めの志と、団体を維持すればするほど、目的が変わってきているところにあるのです。
            なぜかと言うと、NPOの法人格を維持するには有限会社を立ち上げるほどの資金がかかり、活動を続ける限りはそれを維持していかなければいけないからです。
            そこで目的が変わることも当然となるのでしょう。
            だからこそ私たちはNPOの法人格をとって無駄なお金を使うよりも、堅実にいつまでも志を変えずに本当の活動をするためにあえて「サークル・ダルメシアン」というサークルにしているのです。
            また年会費なども一切ありません。
            なぜならお金で維持する団体の財産など何もないからです。
            だからこそ自分のやれることで、真の活動をしたい人が集っています。
            そして定例ライブやエフエムなど参加したいときに一律少額の参加料を支払って、参加する
            システムになっているのです。
            そしてサークルダルメシアンに参加したい人は、誰でもいつでも自由に参加でき、止めたい人は定例ライブやエフエムにこなければよいのです。
            それが音楽家(一匹狼的性質)が集ったサークルの良さだと考えています。
            むしろこの「法人格」のおかげで、かなり間違った方向に行ってしまっている団体の現実も多く知っています。
            また日本を代表する精神科医にはお抱えカウンセラーがいたり、日本を代表する幼児・子供教育の先生の家庭が実は「ぐちゃぐちゃ」だと言うことも私は知っています。
            ではなぜ私は自力で立ち直れたのか?それは答えを自分自身の中に求めたからです。
            過去の全てを認め、受け入れたからです。
            そして私に信頼、愛情、責任を与えてくれる大切な人たちがいたからです。
            現在悩んでいる多くの人は、答えが自分以外にあると勘違いし、誰かや何かに依存する事ばかり求めています。
            ですがそれでは苦しみを倍増させるだけで、なんの解決もありません。
            そして自分以外に依存している人の中で「封印してきた過去の体験を多くの人に語る」行為が苦しくて自殺した人がいると聞きますが、それは「NHKに一言」のように、メディアやシンポジウムの会場の場を盛り上げる為のエンタ−ティメント(見世物的)に利用されてしまったからだと私は考えます。
            現に私はそのような場で多く語ってきた人のカウンセリングを行いました。
            Bさんはかなり高度な心理学やカウンセリングのスキルを学び、多くの人間を立ち直らせてきた人です。
            しかし本人は酷いうつに日々悩まされていたのです。
            Bさんは初め私に自分の過去を語っても、解決はおろか苦しくなると思っていたのです。
            ところがカウンセリングの結果分かった事は、Bさんは被虐体験があるからこそ純真むくな性格のまんまで、周りの悪い大人達にただ振り回され、都合よく利用されていただけなのです。
            それと、そんなBさんだからこそ「嫉妬」と言う虐めに会い、2次虐待を受けていたのです。
            こんな現在の環境と幼少期の親の虐待により受身(人に支配される)の性格にクセづけされていては、当然ともいえる現実の苦しみがあったのです。
            そしてそれに輪をかけたのが、心理学の知識が何かにつけ理論づけする事が救いのような錯覚を、長年依存していた精神科医に植え付けられてしまっていたのでした。
            そんなBさんの口癖は「あの人はいい人だから」です。
            確かにBさんの実の両親が人間以下の酷い人だからBさんにとっては、どんな極悪人も両親に比べると確かにいい人に見えるのです。
            そして自分は本来は天使のような人間でありながらも、最悪の両親が「おまえは悪魔で悪い人間だ」と洗脳してきたので、本人は最悪の人間だと思い込んで生きていたのです。
            こうしてBさんはこのことに気付き、それに付け加えて音楽療法により身体で感じる事を学んだ結果、立ち直れたのです。
            そこには私の立ち直りの「信頼、愛情、責任」の3原則があり、Bさんも答えを自分に求めたからです。
            そんな訳でBさんを救ったのは、立ち直った体験者によるカウンセリングしかなかったのです。
            そこでS教授の話に戻りますが、
            サークルダルメシアンの活動も「蛸壺」呼ばわりされて、「体験なんて無意味」と、言われたのですから、私はだまっては帰れず、「あなたに私たちの活動を蛸壺よばわりされる覚えはない」と言い返しました。
            するとS教授は、「あんたには私の体験は聞いてほしくはないですが、私は児童虐待関係はよく知っていて、体験なんて関係ない」と、けんか腰でいってきました。
            私は「体験は、真実です。それ以上に何が必要ですか?」とお聞きしましたら、
            「今までだって何も変わらないでしょう?もっと歴史を勉強しろ、あんたとはもう話したくない」
            「体験のない労働者階級は革命ができないってことだろ、あんたの言ってるのは」と、教授が言ってきたので、私は「地道な日々の活動が少しづつ、効果をあげている」と、いい返しました。
            ふと我に返りあたりを見回したら、会場の皆さんが固まっておられました。
            これ以上この場で教授と話し合っても、主催者や他の参加者の方に迷惑になるかな?と、思ったところで、上手く私の思いを察してくださった司会者が、「時間も過ぎています、本日は有意義な話し合いが持てました」とシンポジウムは閉会になりました。
            そこで私は、このS教授こそが被虐体験を持ち自分の過去をきちんと見ることが出来ない弱い人間だという事に気づきました。
            何故ならば、過去の事例からいえば、被虐体験者にはこんな場合2タイプいます。
            タイプ1は、私の様に認めてそうなのか?と正しく体験者の話を聞こうとする人です。
            タイプ2は、S教授のように「虐待」の言葉にやたら反応して、自分を強く見せて相手を攻撃しようとするのです。
            このタイプ2は、とても弱い人間で、攻撃されないように「犬がほえる」ような感じでなんでもない事に過剰に反応してしまうのです。
            そこには「ここだけは触れたくない」「ここだけは触れないで」と言う弱みがあるからです。
            そしてこのタイプは地位や名誉の肩書き、もしくは肩書きを持つ人の言葉に依存します。
            またお金がある事などに依存して、自分を誤魔化して生きているのです。
            そしてこんな人ほど案外ロマンチストで、母親を異常に美化したいと思っています。
            だからこそ「被虐体験」が認められないのでしょう。
            そして往々にして男性に多く、それも団塊の世代に多くみられます。
            そしてこのタイプが「僕は虐待なんて無縁だから」と偽りの仮面をかぶっているのです。
            しかし、本当に無縁な人間は「虐待」の文字や言葉に無反応で、興味のある人は、知らない世界だから正しい知識を得ようと努力してくれます。
            また虐待に無縁で興味のない人は、全く無関心でこのような話は聞き流します。
            そこでもう一度、S教授との会話をカウンセラーの立場から分析してみますと、
            S教授の会話で「体験のない労働者階級は革命ができないってことだろ、あんたの言ってるのは」の言葉に、教授は革命世代かもしれないでしょうが、私は革命なんて起こしたくもないし、過去の日本の歴史を見たり世界を見て、何で革命をしなければいけないのか?とS教授の支離滅裂な言葉におかしさの感情が込み上げてきました。
            ですがS教授は、出来る事ならば自分が革命を起こして今の日本を変えたいのでしょう。
            そして地道に陰で活動していても報われないのはまさに、S教授自身なのです。
            また極めつけは、S教授が私に向かって言った、
            「あんたには私の体験は聞いてほしくない」この言葉です。
            どうして私が教授のカウンセリングをここでしなければいけないのでしょうか。
            関西にこんな笑い話があります。
            ある根性無しのヤンキーのお兄さんが喧嘩相手に興奮して「俺誰やとおもてんねん」と言いたかったところ、緊張していた為に「俺だれやねん?」と言ってしまったそうです。
            そこで言われた相手は「そんなんしらんがな?」と言い返しました。
            教授の捨てゼリフがその笑い話を私の中で連想させて、私は笑いをこらえるのに必死でした。
            人は無意識に、常日頃心に思っていたり考えている言葉を口にすることがあります。
            特に興奮すると、より素直に本音を吐露するのです。
            このS教授は私に、自分の辛かった体験を聞いて欲しかったのでしょう。
            だからとっさにそのような言葉が出たのだと思います。
            普通に考えれば、何故私に向かって「自分の体験は聞いてほしくない」なんて言葉が出るのか?
            おかしな話です。
            例えば、子供が好きな女の子を目の前にすると「お前なんか嫌いだ」と言ってちょっかいを出す感覚と同じ現象です。
            特にこのS教授は、地位も名誉もあるのにも関わらず素直に「皆様時間に遅れました、大変申し訳ありませんでした。」の一言が言えない人でした。
            会場に来るなり、「今日のテーマ分からないよ」「腹へった」から始まりました。
            S教授「なんで、そんなにあんた自己中で、自己主張ばっかりしたいの?そんなに誰もあんたをかまってくれないの?」と言いたくなるほど、我儘に育てられた子供のような態度でした。
            「だから今からあんたの話を聞いたげるやんか?」と言いたくなる程、子供じみたタイプに私は驚きを隠せませんでした。
            すでに買ってしまった彼の著書も出来る事なら返本したかったです。
            だってどれだけいいことが書いてあっても、こんな人格を目の前でみせられたら、
            嘘にしか思えないからです。
            そして彼から学ぶことは、何もないからです。
            逆に私のほうが、S教授に一から常識的な挨拶の仕方を教えないといけないくらいです。
            まさに本日のS教授の言葉にある「職業倫理を無くした、馬鹿な国民」は、S教授自身でもあったという事がよく分かりました。
            そのおかげでまた一つ、国立大学の偉い教授が幼稚だという事例が出来たことは、人間の心理を研究している私にとっては、大変喜ばしいことでした。
            しかしS教授のようなタイプはきっと、他の大学にもごろごろ存在していると思います。
            いくら研究が出来、頭がよくても、人とのマナーが幼稚園以下では、人としては最低です。
            まして教育者ともなると果たしてこんな先生は先生として適任なんでしょうか?
            そんな人間が人としての最低限のマナーすらなく、勘違いしているのですから逆に恐ろしい世の中です。
            私はマザーテレサの元で長年ボランティアをされてきた世界的に有名で、偉大な医師と交流がありますが、その方の物腰は低く、多くの人の言葉に耳を傾け、「体験が全て」と語って下さいました。
            マザーテレサは最初から偉大な人間ではなく、普通の人間がこつこつ真面目に自分の信念の元に実践を積み重ねた結果、勝手に周りが評価しただけで、本人は死ぬまでその志は変わらなかったと教えて頂きました。

            また矢沢永吉さんも「矢沢永吉に励まされて」に書きましたように、或る日電話を下さったときにロンドンから帰って来て私からの手紙を受け取り、私に伝えたいことがあったので電話をして下さいました。
            ところが彼は時差ボケで私との電話の際「岡田ユキ」を「岡崎ユキ」と間違えたのです。
            そして私に「大変申し訳ないことをいいました。ごめんなさい」といって謝罪して頂いたのです。
            そこで私は「永ちゃん、別に気にしてませんから」と申し上げたのにも関わらず「人様の大切な名前を間違えるという事は大変失礼な事です。ですから自分はわびて当然のことをしたのです。すみません」といって何度もわびてくださるほど、本当に心があり責任を持って生きている人は、こんなに低姿勢で素直だということです。
            そんな人を大勢見て来た私は、S教授の行為や発言がおかしくてたまりませんでした。
            そして家に帰り「蛸壺」の意味を調べたら(敵の攻撃に対する防御のための小さな一人用の壕。立射用散兵壕 ・読谷村史 「戦時記録」上巻 用語解説より)という意味でした。
            私なら蛸壺みたいなところにかくれずに、生きるか死ぬかの恐怖を抱いて生きるよりは、
            銃弾に当たってあっさり死を選ぶだろうと思いました。
            だって何度死にかけても、生かされてしまう私の運命です。
            生と死は神様から与えられ決められものです。
            どうあがいても逆らえない自分の運命を私は何度も味わったから、いまさら死ぬ事は何も怖くはないのです。
            S教授は「蛸壺」を体験されたのでしょうか?どちらの意味の蛸壺か知りませんが?
            カウンセラーの立場で判断するならば、生きるか死ぬかの体験をしているにはS教授は、根性無しです。
            きっと狭い世界でS教授自身が今も抜け出せずに苦しんでいるのでしょう。
            だから「蛸壺」がトラウマとなり、この言葉が無意識に出てしまうのでしょう。
            きっとS教授はこのブログを見ると思います。
            私がS教授に言いたい事は、日本社会がどうのこうの言う前に、まずはしっかりと自分の過去を見つめて、自分の中にある答えを見つけることが今の貴方には必要だという事です。
            S教授が助けてほしいのならば、私は貴方の手助けをする事はできます。
            ですから勇気を持って、過去をしっかりみつめ、自分を認めましょう。
            そして素直に「助けて欲しい」と言えることが、楽になる第一歩です。

            岡田ユキ

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            | ユキ通信 | 14:02 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
            NHKに一言
            0
              NHKスペシャル  奈良女児殺害犯に手紙で問う 対策なき日本の今 「性犯罪・再犯をどう防ぐか」という番組を見ました。
              この番組内での製作意図と性犯罪に関しての認識が、私の体験と大きくずれている事に、改めて衝撃を受けました。
              番組内で過去に性的被害・虐待を受けた被害者の方が現在も立ち直れずに苦しんでいる場面が流れ、問題解決もせずに言いたい事をいって無責任に番組は終わっています。
              性被害者としての苦しみを乗り越えた私は下記のように感じました。
              ○性犯罪を受けた人はその苦しみを第三者(司法・警察)によって解決する事は出来ない。
              ○被害者はこの映像の人間のようにもっと苦しんで、社会で生きることをやめるしかない。
              ○悔しければこんなふうに犯罪を起こしなさいよとけしかける。
              とこのようにしか私には見えないのです。
              なぜ私がこのように言い切れるのか?と申しますと、私は性的被害者であり、現在は立ち直り、解決策を知っているからです。
              また私に性的犯罪を犯した犯人も、何処で何をしているか私は知っています。
              そして私を犯した犯人は、今だ警察につかまる事もなく、あろう事か教師として京都市の中学校で今も教鞭をとっています。
              それは京都市教育委員会の担当者も知っていて、何の手立ても打とうとはしていません。
              またその教師は過去に性的虐待の性癖がある事は京都市教育委員会の一部の人間も数年前から認め知っているにも関わらず先生としての仕事を続けています。
              この教師の周りにいる生徒達はいつ性犯罪の被害者になるかも知れないのです。
              そしてこの先生の学校に何も知らずに大切な子供を通わせている保護者がこの事実を知れば、どういう気持ちになるでしょうか?
              少なくとも私なら、性犯罪に少しでもかかわりを持つ人間の側には可愛い子どもを預けるようなことはしません。
              ですが、現実には教育委員会や学校側がその事実を隠蔽して、生徒や保護者を騙しているのです。
              いくら学校に警備員を配置したり防犯対策をしても、問題の教師のあり方がおかしい社会では、何も役に立ちません。
              むしろ自分達の税金でそんな先生を雇用して、防犯業界の企業を儲けさせているだけなのです。
              なんと矛盾した世の中なのでしょうか?
              ですがこれが、大変恐ろしい現実です。
              悲しい事に今の日本の現実とは、このような犯罪者にとってはとても都合の良い社会に出来上がっているのだと、私は感じています。

              ではなぜその教師が今も現役の教師として仕事を続けていられるのかということですが、その理由は性犯罪に関してその犯罪を立件しようとしても、そこに時効の壁が立ちふさがるからです。
              またその教師は7歳年下の妹に高校生の時に性的犯罪をおかしました。
              犯された妹は当時小学生でした。
              その犯罪を本人は認めているものの、社会においては犯罪だと立件されていないからです。
              私は現代の性犯罪の解決こそ、このような問題を取り上げて、体験者や弁護士、法改正に携わる人達が時効となっている過去の犯罪や立件されていない性的虐待の問題を掘り下げて、考えて、新しい法律を作って行かないかぎり、性犯罪の問題は、解決出来ないと考えています。
              先日或るブログで、祖父の性的犯罪を孫が法廷で民事訴訟を起こし勝訴して慰謝料を勝ち取ったという記事をみました。
              ですが、虐待問題の根本には、解決はおろか、立証されない性的虐待の問題が潜んでいます。
              そして恐ろしい事に、性的虐待による多くの被害者達の一部が今度は大人になり「仕返し」
              の形で性的犯罪者となり罪を犯しています。
              この番組でも川越にある少年刑務所での性犯罪者のカウンセリングの場面が映し出されました。
              グループワークと称して「欲望をコントロール」する方法を教えようとしていたようですが、
              多くの性的虐待の過去を持つ人を、立ち直らせてきたカウンセラーの立場から言えることは、これは何の効果も得られないと思います。
              なぜならば、欲望をコントロールする以前の問題が多いからです。
              また犯罪者に直接関わる教官が、性的虐待や犯罪の体験がないからです。
              そしていつまでも明治時代に決めた無理な規則を当てはめているからです。
              私が言いたいのは、性犯罪者を立ち直らせるには、性的な被虐待の体験のあるカウンセラーが彼ら一人一人との面接を行い性犯罪に至った根本を探り当てることです。
              そこからスタートしていかない限り、真の解決はありません。
              私は現在ある少年の育成施設に関わっています。
              そこで第二の宅間守元死刑囚(池田小事件)になりうる可能性のあるA君という子がいます。
              私はA君と交わした何回かの会話の節々から、彼は母親からの性的虐待を受けたのではと感じています。
              私が見る限りA君は年齢相応なことをさせると幼稚な行いをするのですが、その半面、妙に男として(成人し女性経験豊富な男性のような)の色気があるのです。
              その印象を担当の教官に伝えますと、「そんな事はありえない」と体験者の私の言葉よりも
              自分の生きてきた世界のみで判断されてしまうのです。
              また悲しい事にとくに女性の教官からは、「子供がそんな男になれるわけがない」と先生の少ない異性体験から判断し指導方針が決められます。
              その結果、A君のような親から虐待を受けた子供は一般の人が体験できない、また想像もつかない世界で自分の人生を歩んでいくのです。
              私は苦しみを体験し乗り越えた人間として、苦しんでいる人と立ち直らせようとしている人との間で橋渡しができれば良いと考えています。
              サークルダルメシアンでは現在私のような体験者達が出会い、社会に役立ち、橋渡しのできる人間に成長しています。
              私がこの番組を観て伝えたかったことは、このようなドキュメント番組で、社会に潜んでいる性犯罪者予備軍を犯罪の実行に導くきっかけを作り出さないで欲しいということです。
              性犯罪を本当に無くしたいと思うのであれば、テレビ局の製作者が望むような派手な映像は逆効果と感じるのです。
              そして過去の虐待による苦しみを乗り越えて、きちんと生きている人間の生き方を番組で示すべきです。
              「あなたも大丈夫、このように立ち直ることが出来るのですよ」というような映像が必要なのです。
              私は以前より何度も報道関係の方にこの事をお願いしていますが、一向に受け入れていただけないことが残念です。
              そこには放火してまでスクープ報道をしたいという体質の社員と職場の雰囲気をその行為の事実が明るみになるまで良しとしてきた会社の体質があるのでしょうか。
              「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。
              他人の苦しみを娯楽として楽しむ事をやめませんか?
              私は体験者として、性犯罪を防止したいと真剣に考えているだけなのです。

              岡田ユキ
              プロフィール更新しました。



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              | ユキ通信 | 15:15 | comments(6) | trackbacks(1) | - | - |
              幼少期性的虐待を受けた子どもと、セックスとの関係
              0
                幼少期兄から性的虐待を受けた私は、「大人になって普通にセックスが出来ますか?」と
                不特定多数の人に尋ねられることがあります。
                私にカウンセリングを受けている人の中にも、性的虐待の後遺症から、正しく性の問題を理解出来ずに苦しんでいる人が殆どです。
                またその「性の問題」が自分の中で解決できていない人は、結婚後DVにまで発展してしまうことも多々あるようです。
                無責任な大人による幼児の性的虐待が、現代社会に多くの問題を引き起こしています。

                そこで、性的虐待らしきものを過去に受けたことのある人や、性的虐待が無縁の方々にも
                「幼少期性的虐待を受けた子どもと、セックスとの関係」を正しく知って頂きたいと思いました。
                なぜならセックスは相手があり、一人では出来ないからです。
                またその相手となる人は、性的虐待と無縁の人間が多いからです。
                そしてその性的虐待と無縁な人間の軽い判断が、性的虐待を受けた人間をいかに傷つけ、時には犯罪者を作り出してしまうという事を知ってほしいからです。
                特に日本と言う国は性の問題をタブー視するところがありますが、その建前とは逆にその裏ではかなり酷い性行為を弱い人間に向けています。
                そこには強い抑圧を解消したいとの心理が働くからでしょう。
                私はカウンセリングを通して見える原因の一つとして、今の日本人の心がおかしくなってきている問題の一つに「性」の問題は切り離せないと考えています。
                その問題が正しく理解され、改善できるのならば日々起こる犯罪の問題も半分は阻止できるように思えるからです。

                それでは具体的に、性的虐待の後遺症(心的外傷)としては、
                性的行為を受け付けないタイプと、性的行為を受け付ける2つのパターンがあります。
                \行為そのものを受け付けないタイプとしても2つあります。
                ★受けた自分を許せず、自分は汚れていると思い込み自分を責める。
                ★性的行為を憎み異性まで同時に憎む。
                このタイプは性的行為がレイプ等の暴力的な形で行われた為です。
                これには復讐がともなう時があります。
                現在性的犯罪を犯す犯罪者の根底には、このような心理がともなっている場合が多々あると思います。

                ∪行為に依存するタイプ
                このタイプは、いつもは虐待をされいじめられた環境の中で唯一セックスの時だけが、優しく接してもらった時間なのです。
                このひと時の優しさを求める為に、性関連の仕事についたり、簡単に他人とのセックスを求めようとします。
                なぜならこのタイプにとっての性行為とは、愛情を他人から与えてもらえる唯一の方法だと考えるからなのです。
                だから嫌われないように自らも、相手の喜ぶことをしようと、必死で努力をすることでしょう。
                それが知らない間に相手に尽くしてしまうので、いつしか相手に支配された関係を作ることに繋がって行きます。

                そこでこの場合、本来は大人のセックス行為をしてはいるのですが、実は、子ども時代に親に抱かれて寝る感覚を求めています。
                なぜならば私も同じ感覚を長年求めたからです。
                しかし一般の健全な男性からするとその私の感覚は、到底理解できるものではなく、逆に私は異常だと理解されてきました。
                また私の感覚からも、相手にただ本能的にセックスを求められることが、理性のない馬鹿な人間のように思え、憎いとさえ感じました。
                ここに性的虐待をした兄とは無関係の恋人でありながら、私は恋人に兄の姿を投影させて憎しみをぶつけていたのでしょう。
                その結果、私の思いを理解出来ない相手に何度も普通のセックス行為を求められてしまうことが苦痛となるために、逃げ出すしかなかったのです。
                それが、私の場合DV離婚へとも繋がって行きました。

                それが男女間において「別れる」「捨てた」「捨てられた」と言う解釈になるのでしょうが、
                そこには支配する側、される側の関係が強く感じられるから苦しくなるのです。
                しかし、セックスの相手によっては、子ども時代に親に抱かれて寝る感覚を理解してくれる異性もいます。
                そのような異性にめぐり合えた人は、立ち直ることが出来ます。
                私もそんな異性と出会え、立ち直れた一人です。
                「自分が相手を包み、相手も自分を包んでくれている」と、互いが対等の立場として感じられたときに、性的虐待の傷は消えるのだと私は思います。
                その事から、性的虐待の傷を持つ人間は、自分を理解してくれる異性にめぐり逢えるまでは、たとえ10人でも、100人でも見つかるまで相手を変えて、探してしまうのでしょう。
                そこには幸せな家庭で育った人間には想像もできない、深い「孤独感」があるからです。
                性的虐待を受けた人間の気持ちを冷静に判断していただく為に、自分の体験からこの文章を書かせていただきました。

                岡田ユキ


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                | ユキ通信 | 13:29 | comments(8) | trackbacks(1) | - | - |
                早期教育
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                  先日から数回に渡り「再生未来の子どもたち」(葛飾エフエム78.9MH)で
                  「早期教育」の賛否論が熱く語られています。
                  ちなみに現在日本における早期教育及び幼児教育の数はネットで検索するだけでもかなりの数があります。
                  現在私がカウンセリングを行っている20代のAさんは、「生きづらさ」を感じて苦しんでいました。
                  Aさんは「生きづらい」から「死にたい」と考えるのではなく、生きるためにどうすれば生きづらさが解消できるのか?と言うところで悩み苦しんでいました。
                  なぜならAさんは両親のことが好きだからです。
                  Aさんは2歳ごろからEDA(財団法人ソニー教育財団、幼児開発センター)の早期教育を受けその後、幼稚園受験、中学受験並行して学習塾やヴァイオリンを習い、某有名大学受験も成功し勝ち組みとして昨年念願の社会人になりました。
                  しかしAさんにとって過去の22年間は自分自身の人生ではなく、大好きな母親が望んだ母親自身が歩みたかった人生を、Aさんが変わりとなり歩んでいた事に気付いてしまったのです。
                  社会に出て様々な人間と出会う事が、Aさんには多くの疑問となり、それが悩みになり苦しみに変わっていったのです。
                  人間の記憶の始まりは3歳あたりからとされていますが、Aさん自身親から肉体的な暴力を受けた記憶がないということですが、他人が何気ないところで手を上げるしぐさをすると体が無意識に反応してよけるのと同時に、とてつもない恐怖を感じるのだそうです。
                  また他人との会話においては自分の意見をテキパキ答えるのに対して、親の言葉には絶対服従と言う様に親に支配されてしまい、反発が一切出来なくなるのだそうです。
                  恵まれた環境にいるように見えるAさんですがカウンセリングで過去を掘り下げてゆくとそこには家庭内で「支配する側、される側」の関係がしっかりと築かれていました。
                  母親はAさんの幼少期を「駄々をこねない静かでおとなしい子で、とても育てやすかった」と言うそうですが、Aさんは泣き叫んでいるのにお風呂場に閉じ込められた記憶や、小さいときから母親のヒステリックな声を聞き、手を上げる行為に身体が反応してしまう自分は、まるでペットの躾を教える時のような肉体的な暴力が存在したのでは?と思えるのだそうです。
                  なぜならAさんは、女友達の高い怒り声や頭を叩かれた事でキレそうになり、思わず手をあげた経験があるからです。
                  それがエスカレートしてしまうと平手がカッターナイフに変わる可能性もあるのでは?
                  私はAさんのようなタイプを「綺麗な虐待」と呼んでいます。
                  そんなAさんのカウンセリングを通して早期教育が果たして子どもにとってはどのような影響を与えるのか?
                  そこで「早期教育が幼児の発達に与える影響と今後の在り方」と言う興味深い、須森りかさんの論文を見つけました。

                  次に早期教育と言うよりもEDAの財団法人ソニー教育財団に対して私なりの素朴な疑問が生じてきました。
                  現在私の息子はテレビゲームにはまり、本人はゲーム依存症だと自覚しています。
                  子ども達がゲームを始めると人格や目つき、言葉使いが急変することに恐怖を感じている親は多いと思います。
                  そこでEDAでの子ども達のデータと、PS、PS2、PSPゲームソフト(ソニー)が何らかの形で関わり、ゲーム依存症の子ども達を作り上げているのでは?と疑問が沸きました。
                  そこで先日事務局長の垣内が直接EDAに電話をかけ取材をさせていただきました。
                  事務局「EDAが、2006年3月を持って業務収束との発表ですが、その理由は?」
                  EDA「SONYは先駆的企業であり、三十年前に幼児教育(早期教育)に注目した時点ではSONYだけであり(井深大)現在では多くの早期教育関連の企業や機関が立ち上がっており、もはやSONYの役割は終わったと考える」
                  事務局「三十年前から始めた早期教育を当時受けた子ども達はそろそろ親世代になってきている。これまでの成果や早期教育の影響等をまとめたもの等はあるのでしょうか?」
                  EDA「早期教育を受けた子どもに関しては一切の追跡調査を行っていない」
                  事務局「SONYの新ゲーム開発に際してこれまで行ってきた早期教育で収集された膨大なデータ、特に幼児の感受性や性格等のデータを利用してきた事はあるのか?」
                  EDA「EDAとSONY本社は全く別法人であり、いかなるデータも本社に提出した事は無い。また、外部にも一切提供していない」
                  と言う回答をいただきました。
                  親たちがなぜ早期教育に引き込まれるのか?
                  1、親たちを不安にさせる業者の強迫的な宣伝文が、今の親達に人気の育児雑誌等に掲載されていること。
                  2、今の社会環境(核家族化、少子化など)が親を孤独な育児に追い込んでいること。
                  3、うちの子だけ乗り遅れたらと言う恐怖。
                  4、目標のない子育てに自分の存在価値が見出せず、子どもの教育に目標をおき、自己を確認している。(田代しのぶさんの保育基礎演習修了レポートから)
                  その際田代さんは親を母親とされていますが、私は多くのカウンセリングを通して感じることは、父親にも母親に負けず同じ事があてはまるという事です。
                  またこのレポートで私が注目したのは、早期教育の草分け的存在とも言われていたソニー名誉会長の井深大氏が、早期知的教育を乳幼児に施してきたが、必ずしもいい結果が出ずに「知的教育は後からでも間に合うが、心の早期教育をすべき」と早期知的教育に否定的になっているそうである。という点でした。

                  岡田ユキ


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                  | ユキ通信 | 00:26 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
                  カケ算ラップの全国配布運動
                  0
                    FAMILY

                    先日ある勉強会にて、国会議員の先生や学芸大学教授のお話として、
                    多くの現役の中学生が、分数の計算が出来ないとのお話がありました。
                    先生方がその原因を探っていきますと、カケ算の九九を暗記していないからとのことです。
                    これは私自身が息子の子育て時に体験した事でもありまして、
                    約10年前からT書籍(教科書出版社)の算数課の担当者と、幾度となくやりとりしてきた問題でした。
                    私がつくりました、CD「FAMILY」の中に「カケ算ラップ」という曲があります。
                    この曲で多くの子どもたちを救ってきましたが、今もって世の中に浸透していかないことが
                    一番の問題だと私は考えておりました。
                    私は自分の作った物を売り込みたいわけではありません。
                    子育て体験者として学校の授業で算数の教材として活用できれば、
                    多くの親子を助けられるのではないかということなのです。

                    実際私がT書籍の算数担当者と人間関係をもったのは、
                    当時小学3年生の息子の同級生の親たちにすすめられて、
                    「こんなに子どもにとってプラスになるカケ算ラップなら、岡田さんが教科書会社に
                    売り込んで、多くの子ども達を助けてあげて」との言葉でした。
                    息子の算数の教科書にはT書籍刊とあったので、担当者に電話して事の経緯をお話しました。
                    すると担当者がいきなり「買います。いくらですか?」とおっしゃたことに、私自身正直驚きました。
                    その後、カケ算ラップのテープを担当者に送りましたが、結局話は流れてしまいました。
                    理由は、私はリズムで覚える形を主張して、相手は著作権の問題からなんとしても
                    メロディーにしたかったのです。
                    その後カケ算が出来ないと聞くと、無償で私が作ったカケ算ラップを多くの人に
                    提供してきました。
                    ですが残念な事に、10年経っても子ども達や親のために、
                    何も改善されていなかった現実にとても腹が立ちました。
                    先日T書籍の当時の担当者と、電話で詳しくお話をさせていただき、
                    現在の教科書に対する現状も関係者の立場から伺いました。

                    その方がおっしゃるには、文部科学省の算数の教科書検定の中に音声資料が
                    認められていないので、製品化できないとのことでした。
                    ですが実際私は小学校の先生や校長先生から「教科書会社が作ってくれればいいのに」
                    との声を聞くので、その事を伝えましたら「サンプルとして作ることは可能で、学校に配布することは可能ですが、学校側がそれに対して、1円もお金をくれないので、
                    うちも商売だから」と言っておられました。
                    結果私たちが制作費を使って作り、T書籍に無料で配布していただけるなら、
                    自分達の取引している学校に無料配布する事は可能だと言われました。
                    「では、どこかで助成金を申し込んで作ります」といいましたら、
                    「でも今の時期無料配布しても、教科書を売るための賄賂ととられても困るので」
                    と、こんな返答でしたが、結局このままでは何も進まないと考えております。
                    私たちは「カケ算ラップの全国配布運動」を、起こしてゆきたいと計画しております。
                    誰かが今やらなければだめだと思うからです。
                    どうかみなさんの力をお貸しください。
                    カケ算ラップはこちらからダウンロードできます。
                    ご自由にダウンロードしてお使いください。

                    岡田ユキ


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                    | ユキ通信 | 02:22 | comments(0) | trackbacks(2) | - | - |
                    7月よりカウンセリングルーム開設
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                      カウンセリング

                      多くの方からカウンセリングのご希望があり、事務局としてはそのご要望にお応えするために、7月よりサークルダルメシアン事務局にてカウンセリングルームを開設することになりました。
                      詳しくはこちらのページをご覧下さい。

                      カウンセリングに関するお問い合わせはこちらのフォームよりお問い合わせ下さい。

                      サークルダルメシアン事務局


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                      | ユキ通信 | 14:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |