2007.01.20 Saturday
東京シューレにて講演
『1月17日、代表の岡田が講演を行います。』
事務局からそんな連絡をもらい、取材に行ってきました。
昨年下旬からサークル・ダルメシアンの活動に参加していますが、
僕が岡田ユキの講演に同行したのは、今回が初めて。
講演に行った先は、NPO法人東京シューレでした。
「自由」「自治」「個の尊重」を理念として、子ども中心の活動を応援しているフリースクールなんですよ。
1985年、狭い雑居ビルの一室で、学校外の子どもの居場所、学び・交流の場としてスタートしたという東京シューレは、現在では、東京都北区、太田区、新宿区にも、その場が広がっています。
このブログにもHPをリンクしておりますが、東京シューレの奥地圭子理事長は、サークル・ダルメシアンの提供で放送している、ラジオ番組にもご出演下さっています。
(かつしかFM局78.9Mhz、毎週月曜夜10時放送・「みにくいあひるの子どもたち」)
さて、フリースクールで行われた講演ですが、初めて同行をする僕の脳裏には、壇上で話す岡田の姿がありました。
そして、聞き手となる方々は、児童虐待防止というサークル・ダルメシアンの活動にご興味をもたれた、生徒の親御さんたち!?
壇上にいる岡田の話を熱心に聞き入り、講演終了後には盛大な拍手が贈られる・・・。
頭の中で、そんな様子を想像していたんです。
いやぁ・・・、僕もまだまだ甘いですね。
ボランティア活動に参加してると言っていますが、何もわかっちゃいませんでした・・・。
昨年は国際ソロプチミストから表彰を受けたり、つい先日は台湾講演まで行っている岡田ですが、この東京シューレという場所では、サークル・ダルメシアンの長年の足跡を見たような気がしました。
初めて同行した講演・・・、岡田は壇上にはいません。
そして、何より聞き手となった方々は、生徒の親御さんたちではなく、被虐体験者である岡田が、辛い日々を過ごしていた時期と同じ世代の子供たちだったんですよ。
『この子たちが、岡田の被虐体験を聞くのか・・・。』
取材をする者として、下調べを怠っていたのは言うまでもありませんが、
現在、4人息子を子育て中の僕は、正直なところ驚きました。
会場は、東京シューレ王子が入っているビルの一室。
岡田を迎え入れた子供たちは、みんな元気に挨拶をしてくれました。
奥地理事長をはじめ、他の先生方と一緒になって会場の準備をする子供たちは、不登校児も受け入れているというお話しが、僕の頭の中から消え去ってしまほど、明るく活発に動いていましたよ。
そして、子供たちと同じテーブルで向かい合った岡田から、
『いま苦しんでいる人達がいたら、悩まないで欲しい・・・。』
っという話しが始まると、子供たちの眼差しが変わりました。
それは、真剣に話しを聞こうとする眼差し・・・。
本気で何かを得ようとする眼差しでした。
事細かに自らの生い立ちを振り返りながら、子供たちにメッセージを贈る岡田の口からは、虐待、自殺未遂、DV家庭、離婚・・・、そして、死という言葉も・・・。
僕は岡田の著書「みにくいあひるの子供たち」を読んでいますので、話しの内容は抵抗なく聞くことが出来ますが、公立小学校に息子を通わせている父親としては、やはり岡田の話しは衝撃的でした。
『子供たちの前で、ここまでの話しを・・・。』
記事を書くためのメモを取りながら、内心そう思っていたんです。
それでも、子供たちの眼差しが変わることはありませんでした。
『辛い思いの裏には、それを思わせる原因が必ずある。その原因さえつきとめれば、みんな悩まなくて済むんだよ。そしてその原因は、みんなが当たり前だと思っているところにある。』
岡田は自らの被虐体験を、余すことなく子供たちの前に曝け出しながら、話し続けました。
『もし一人で考えているならば、第三者に伝えてみようよ。それが親じゃなくたっていい。外へ一歩踏み出してみれば、みんなに愛情を与えてくれる人たちは、たくさんいるんだよ。』
これは岡田自身が実際に歩んできた道のり・・・、
誰かに言わされたものでもなければ、決して綺麗事でもない。
自らの全てを曝け出したからこそ、子供たちは必死で耳を傾けるんです。
虐待や自殺未遂、DV家庭・・・、そんな言葉が入ったって、何かを得ようと目を背けることなく聞くんですよ。
初めて岡田の講演を聞いた僕は、その最中、DV被虐者だった頃の自分と、いま4人の子供の父親となった自分との間を行き来していました。
きっと子ども時代の自分がこの場にいたら、この子たちと同じ眼差しで岡田を見つめていると思います。
僕が岡田の言葉から受けた衝撃は、父親というかたちばかりの文字の上に沸き起こった感覚でした。そしてその衝撃を、前に進むための原動力に変えたのは、子ども時代の僕だったんですよ。
自分を信じ、そして、子供たちの感覚を信じる。
自らを認めることが出来ずに、我が子を虐待する親たち・・・、まるで腫れ物に触るような子育てをする親たち・・・、そして、只々無干渉な第三者たち・・・、そんな大人が蔓延る世の中。
僕は今回の岡田の講演から・・・、それに東京シューレの子供たちから、
本当のボランティアの意義を学んだような気がしました。
講演終了後、岡田は3曲の歌を披露しました。
手拍子をする子や、楽しげな表情でリズムとる子供たちの中で、全く表情を変えないまま、熱唱する岡田を見つめている子がいたんです。
『やっぱり中には、こんな子もいるよな・・・。』
そんな事を考えていた僕でしたが、そこで思いも寄らない事が起こったんです。
歌い終わった岡田のもとへ、誰に促されることなく、その子が駆け寄ってきたんですよ。
『僕・・・、どうやって表現したらいいか、判らなかったけど・・・、
歌・・・、感じました。歌・・・、感じました。』
そう言って一生懸命に自分の気持ちを伝えようとするんです。
こんな光景は公立小学校の参観では、見たことがありません。
親でも、第三者でも、先生でも、友達でも・・・、みんな魂があり、純粋な心がある。
自分を信じ、そして曝け出し、本気で向き合えば、必ずわかり合える。
そんなことを、あらためて実感した瞬間でしたね。
公立小学校に通う子供たちも、東京シューレの子供たちも、全ての人が世の中には必要なんですよ。たった1時間の講演でしたが、僕にとっても良い時間を与えられたと思いました。
最後に奥地理事長に、少しだけお話しを伺ってきました。
今回の記事は、岡田の講演ということで書いていますが、これは東京シューレが開校以来続けている『シリーズ人間』という授業なんだそうです。
今までも様々な方が東京シューレを訪れているようで、どんな方を授業に招くかという意見は、殆ど子供たちから出てくるそうですよ。
フリースクールというだけあって、時間割も子供たちが作成し、受けたい授業を自由に選択しながら学んでいるとのこと。
奥地理事長は”自己決定”という言葉でご説明をされていましたが、与えられたものを”こなす”のではなく、自らが学ぶ意欲をもって授業に参加する。だから、みんなが活き活きしている。卓上の勉強だけが学力と表現されている昨今、読んで字の如く、学ぶ力をもった学力を身につける場所なんじゃないでしょうか。
東京シューレの子供たちは、みんな僕に必要な存在でしたよ。
本当にありがとうございました。
事務局からそんな連絡をもらい、取材に行ってきました。
昨年下旬からサークル・ダルメシアンの活動に参加していますが、
僕が岡田ユキの講演に同行したのは、今回が初めて。
講演に行った先は、NPO法人東京シューレでした。
「自由」「自治」「個の尊重」を理念として、子ども中心の活動を応援しているフリースクールなんですよ。
1985年、狭い雑居ビルの一室で、学校外の子どもの居場所、学び・交流の場としてスタートしたという東京シューレは、現在では、東京都北区、太田区、新宿区にも、その場が広がっています。
このブログにもHPをリンクしておりますが、東京シューレの奥地圭子理事長は、サークル・ダルメシアンの提供で放送している、ラジオ番組にもご出演下さっています。
(かつしかFM局78.9Mhz、毎週月曜夜10時放送・「みにくいあひるの子どもたち」)
さて、フリースクールで行われた講演ですが、初めて同行をする僕の脳裏には、壇上で話す岡田の姿がありました。
そして、聞き手となる方々は、児童虐待防止というサークル・ダルメシアンの活動にご興味をもたれた、生徒の親御さんたち!?
壇上にいる岡田の話を熱心に聞き入り、講演終了後には盛大な拍手が贈られる・・・。
頭の中で、そんな様子を想像していたんです。
いやぁ・・・、僕もまだまだ甘いですね。
ボランティア活動に参加してると言っていますが、何もわかっちゃいませんでした・・・。
昨年は国際ソロプチミストから表彰を受けたり、つい先日は台湾講演まで行っている岡田ですが、この東京シューレという場所では、サークル・ダルメシアンの長年の足跡を見たような気がしました。
初めて同行した講演・・・、岡田は壇上にはいません。
そして、何より聞き手となった方々は、生徒の親御さんたちではなく、被虐体験者である岡田が、辛い日々を過ごしていた時期と同じ世代の子供たちだったんですよ。
『この子たちが、岡田の被虐体験を聞くのか・・・。』
取材をする者として、下調べを怠っていたのは言うまでもありませんが、
現在、4人息子を子育て中の僕は、正直なところ驚きました。
会場は、東京シューレ王子が入っているビルの一室。
岡田を迎え入れた子供たちは、みんな元気に挨拶をしてくれました。
奥地理事長をはじめ、他の先生方と一緒になって会場の準備をする子供たちは、不登校児も受け入れているというお話しが、僕の頭の中から消え去ってしまほど、明るく活発に動いていましたよ。
そして、子供たちと同じテーブルで向かい合った岡田から、
『いま苦しんでいる人達がいたら、悩まないで欲しい・・・。』
っという話しが始まると、子供たちの眼差しが変わりました。
それは、真剣に話しを聞こうとする眼差し・・・。
本気で何かを得ようとする眼差しでした。
事細かに自らの生い立ちを振り返りながら、子供たちにメッセージを贈る岡田の口からは、虐待、自殺未遂、DV家庭、離婚・・・、そして、死という言葉も・・・。
僕は岡田の著書「みにくいあひるの子供たち」を読んでいますので、話しの内容は抵抗なく聞くことが出来ますが、公立小学校に息子を通わせている父親としては、やはり岡田の話しは衝撃的でした。
『子供たちの前で、ここまでの話しを・・・。』
記事を書くためのメモを取りながら、内心そう思っていたんです。
それでも、子供たちの眼差しが変わることはありませんでした。
『辛い思いの裏には、それを思わせる原因が必ずある。その原因さえつきとめれば、みんな悩まなくて済むんだよ。そしてその原因は、みんなが当たり前だと思っているところにある。』
岡田は自らの被虐体験を、余すことなく子供たちの前に曝け出しながら、話し続けました。
『もし一人で考えているならば、第三者に伝えてみようよ。それが親じゃなくたっていい。外へ一歩踏み出してみれば、みんなに愛情を与えてくれる人たちは、たくさんいるんだよ。』
これは岡田自身が実際に歩んできた道のり・・・、
誰かに言わされたものでもなければ、決して綺麗事でもない。
自らの全てを曝け出したからこそ、子供たちは必死で耳を傾けるんです。
虐待や自殺未遂、DV家庭・・・、そんな言葉が入ったって、何かを得ようと目を背けることなく聞くんですよ。
初めて岡田の講演を聞いた僕は、その最中、DV被虐者だった頃の自分と、いま4人の子供の父親となった自分との間を行き来していました。
きっと子ども時代の自分がこの場にいたら、この子たちと同じ眼差しで岡田を見つめていると思います。
僕が岡田の言葉から受けた衝撃は、父親というかたちばかりの文字の上に沸き起こった感覚でした。そしてその衝撃を、前に進むための原動力に変えたのは、子ども時代の僕だったんですよ。
自分を信じ、そして、子供たちの感覚を信じる。
自らを認めることが出来ずに、我が子を虐待する親たち・・・、まるで腫れ物に触るような子育てをする親たち・・・、そして、只々無干渉な第三者たち・・・、そんな大人が蔓延る世の中。
僕は今回の岡田の講演から・・・、それに東京シューレの子供たちから、
本当のボランティアの意義を学んだような気がしました。
講演終了後、岡田は3曲の歌を披露しました。
手拍子をする子や、楽しげな表情でリズムとる子供たちの中で、全く表情を変えないまま、熱唱する岡田を見つめている子がいたんです。
『やっぱり中には、こんな子もいるよな・・・。』
そんな事を考えていた僕でしたが、そこで思いも寄らない事が起こったんです。
歌い終わった岡田のもとへ、誰に促されることなく、その子が駆け寄ってきたんですよ。
『僕・・・、どうやって表現したらいいか、判らなかったけど・・・、
歌・・・、感じました。歌・・・、感じました。』
そう言って一生懸命に自分の気持ちを伝えようとするんです。
こんな光景は公立小学校の参観では、見たことがありません。
親でも、第三者でも、先生でも、友達でも・・・、みんな魂があり、純粋な心がある。
自分を信じ、そして曝け出し、本気で向き合えば、必ずわかり合える。
そんなことを、あらためて実感した瞬間でしたね。
公立小学校に通う子供たちも、東京シューレの子供たちも、全ての人が世の中には必要なんですよ。たった1時間の講演でしたが、僕にとっても良い時間を与えられたと思いました。
最後に奥地理事長に、少しだけお話しを伺ってきました。
今回の記事は、岡田の講演ということで書いていますが、これは東京シューレが開校以来続けている『シリーズ人間』という授業なんだそうです。
今までも様々な方が東京シューレを訪れているようで、どんな方を授業に招くかという意見は、殆ど子供たちから出てくるそうですよ。
フリースクールというだけあって、時間割も子供たちが作成し、受けたい授業を自由に選択しながら学んでいるとのこと。
奥地理事長は”自己決定”という言葉でご説明をされていましたが、与えられたものを”こなす”のではなく、自らが学ぶ意欲をもって授業に参加する。だから、みんなが活き活きしている。卓上の勉強だけが学力と表現されている昨今、読んで字の如く、学ぶ力をもった学力を身につける場所なんじゃないでしょうか。
東京シューレの子供たちは、みんな僕に必要な存在でしたよ。
本当にありがとうございました。