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ブログカウンセリング〜新藤教授よ、よく聞きなさい
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    政治とは、なんだろうか
    政治とは、なんだろうか
    新藤 宗幸

    今日はとても面白い体験をしました。
    サークルダルメシアンの代表として、某シンポジウムにスピーカーとして参加させて頂きました。
    テーマは「自治体における安心と安全」というもので、メインスピーカーは某国立大学のS教授でした。
    話はいたって真面目な話ではあり、現在のおかしくなってしまった日本をこれからどのように立ち直らせればよいのか?
    三位一体改革、マニュフエスト、などでした。
    S教授は政治学が先行で政治にみるナニナニと言うような著書をいくつか出され、
    また日本の政治の中枢の方々と一緒に様々な法案なども作っておられるという事でした。
    初めは、会場で主催者のお薦めと、教授がどのような方かが楽しみで、受付で販売されていた著書を半分強制的に買うことになり、ななめ読みしながら、「なるほど」と思ってお会いできるのを楽しみにしていました。
    ところが定刻が過ぎても教授は会場に姿を見せず、主催者の方が連絡をとられたのか教授が連絡してきたのか判りませんが、会場の場所が分からず道に迷っているとの事が参加者に伝えられました。
    ようやく会場に姿を見せた教授は会場に入ってくるなり、「今日は何しゃべるんだよ、会の趣旨も見えないし、腹へってるんだよう」の言葉に、私は耳を疑いました。
    それから「何を話しするのか良くわかんないからもういいだろう」みたいな会話があり
    当然会場に会費を支払って参加している人の手前、主催者側の人間が必死に教授に本日の会のテーマや趣旨を皆の前で説明しながら、我儘放題の教授をなだめすかして、やっと教授の講演が始まりました。
    私にとって、教授の話で興味深かったことは、あらゆる分野の職業倫理をいつから日本人は無くしてしまったのかということや結果の平等、機会の平等などの話でした。
    「馬鹿な国民はいつから自分で物事を考えなくなったのか、無責任な行動を取り、自分の失敗や罪を他人になすりつけるようになったのか」など、まさに最近のテレビ報道で騒がれている姉歯建築事務所がらみの話がでました。
    教授の講演の後、スピーカーが順番に話し始め私の番が来たので、私は児童虐待防止の活動を通して見えてきた、S教授が言われた「馬鹿な国民」を作っている原因のいくつかを事例と共に話しました。
    その一つとして、当ブログの「NHKに一言」で書かせて頂いた、ゆがんだ報道のあり方による洗脳。
    ニ、心理業界の実体験のない憶測や欧米的心理学のとらえかたのまちがい。
    三、「早期教育」で書いた、企業の利益追求による早期教育の後遺症など。
    すべては私の見て来た真実や体験を通しての話をしました。
    するとそこで教授が、私たちの活動を含め、底辺の活動をしている人たちは、すべて「たこつぼだ」といわれました。
    そして私に向かって「蛸壺の中だけでお山の大将になっているからだめなんだ!」
    と言い切られたのです。
    そこで私が解釈した「蛸壺」の意味は、小さなつぼにタコが入っている、すなわち小さな世界だけで生きているということなのかな?と思いました。
    しかし私は、ここ十年もの間自分探しのために多くのボランティア団体に参加して、そこで私の解釈した「蛸壺」的な活動をされている方々も多く見てきました。
    だからこそ、それでは何も変わらないと思ったからこそ、現在の活動はそれらの数々の体験をもとに、新しく効果のある活動を展開しています。
    そして現実に多くの成果がこの1年半の間に結果として出ています。
    そこで教授曰く、「蛸壺は、横のつながりを作らないんだよ」との言葉でした。
    確かにその言葉は私たちも活動をしていく上で多くの「心関係」や「虐待防止」と看板を上げている法人格の団体は、全くといって良いほど横のつながりを持とうとはしませんでした。
    それは実際私たちが足で一件一件歩き見てきた体験から言えることです。
    そしてそこで見えた事は、そのような団体の多くが初めの志と、団体を維持すればするほど、目的が変わってきているところにあるのです。
    なぜかと言うと、NPOの法人格を維持するには有限会社を立ち上げるほどの資金がかかり、活動を続ける限りはそれを維持していかなければいけないからです。
    そこで目的が変わることも当然となるのでしょう。
    だからこそ私たちはNPOの法人格をとって無駄なお金を使うよりも、堅実にいつまでも志を変えずに本当の活動をするためにあえて「サークル・ダルメシアン」というサークルにしているのです。
    また年会費なども一切ありません。
    なぜならお金で維持する団体の財産など何もないからです。
    だからこそ自分のやれることで、真の活動をしたい人が集っています。
    そして定例ライブやエフエムなど参加したいときに一律少額の参加料を支払って、参加する
    システムになっているのです。
    そしてサークルダルメシアンに参加したい人は、誰でもいつでも自由に参加でき、止めたい人は定例ライブやエフエムにこなければよいのです。
    それが音楽家(一匹狼的性質)が集ったサークルの良さだと考えています。
    むしろこの「法人格」のおかげで、かなり間違った方向に行ってしまっている団体の現実も多く知っています。
    また日本を代表する精神科医にはお抱えカウンセラーがいたり、日本を代表する幼児・子供教育の先生の家庭が実は「ぐちゃぐちゃ」だと言うことも私は知っています。
    ではなぜ私は自力で立ち直れたのか?それは答えを自分自身の中に求めたからです。
    過去の全てを認め、受け入れたからです。
    そして私に信頼、愛情、責任を与えてくれる大切な人たちがいたからです。
    現在悩んでいる多くの人は、答えが自分以外にあると勘違いし、誰かや何かに依存する事ばかり求めています。
    ですがそれでは苦しみを倍増させるだけで、なんの解決もありません。
    そして自分以外に依存している人の中で「封印してきた過去の体験を多くの人に語る」行為が苦しくて自殺した人がいると聞きますが、それは「NHKに一言」のように、メディアやシンポジウムの会場の場を盛り上げる為のエンタ−ティメント(見世物的)に利用されてしまったからだと私は考えます。
    現に私はそのような場で多く語ってきた人のカウンセリングを行いました。
    Bさんはかなり高度な心理学やカウンセリングのスキルを学び、多くの人間を立ち直らせてきた人です。
    しかし本人は酷いうつに日々悩まされていたのです。
    Bさんは初め私に自分の過去を語っても、解決はおろか苦しくなると思っていたのです。
    ところがカウンセリングの結果分かった事は、Bさんは被虐体験があるからこそ純真むくな性格のまんまで、周りの悪い大人達にただ振り回され、都合よく利用されていただけなのです。
    それと、そんなBさんだからこそ「嫉妬」と言う虐めに会い、2次虐待を受けていたのです。
    こんな現在の環境と幼少期の親の虐待により受身(人に支配される)の性格にクセづけされていては、当然ともいえる現実の苦しみがあったのです。
    そしてそれに輪をかけたのが、心理学の知識が何かにつけ理論づけする事が救いのような錯覚を、長年依存していた精神科医に植え付けられてしまっていたのでした。
    そんなBさんの口癖は「あの人はいい人だから」です。
    確かにBさんの実の両親が人間以下の酷い人だからBさんにとっては、どんな極悪人も両親に比べると確かにいい人に見えるのです。
    そして自分は本来は天使のような人間でありながらも、最悪の両親が「おまえは悪魔で悪い人間だ」と洗脳してきたので、本人は最悪の人間だと思い込んで生きていたのです。
    こうしてBさんはこのことに気付き、それに付け加えて音楽療法により身体で感じる事を学んだ結果、立ち直れたのです。
    そこには私の立ち直りの「信頼、愛情、責任」の3原則があり、Bさんも答えを自分に求めたからです。
    そんな訳でBさんを救ったのは、立ち直った体験者によるカウンセリングしかなかったのです。
    そこでS教授の話に戻りますが、
    サークルダルメシアンの活動も「蛸壺」呼ばわりされて、「体験なんて無意味」と、言われたのですから、私はだまっては帰れず、「あなたに私たちの活動を蛸壺よばわりされる覚えはない」と言い返しました。
    するとS教授は、「あんたには私の体験は聞いてほしくはないですが、私は児童虐待関係はよく知っていて、体験なんて関係ない」と、けんか腰でいってきました。
    私は「体験は、真実です。それ以上に何が必要ですか?」とお聞きしましたら、
    「今までだって何も変わらないでしょう?もっと歴史を勉強しろ、あんたとはもう話したくない」
    「体験のない労働者階級は革命ができないってことだろ、あんたの言ってるのは」と、教授が言ってきたので、私は「地道な日々の活動が少しづつ、効果をあげている」と、いい返しました。
    ふと我に返りあたりを見回したら、会場の皆さんが固まっておられました。
    これ以上この場で教授と話し合っても、主催者や他の参加者の方に迷惑になるかな?と、思ったところで、上手く私の思いを察してくださった司会者が、「時間も過ぎています、本日は有意義な話し合いが持てました」とシンポジウムは閉会になりました。
    そこで私は、このS教授こそが被虐体験を持ち自分の過去をきちんと見ることが出来ない弱い人間だという事に気づきました。
    何故ならば、過去の事例からいえば、被虐体験者にはこんな場合2タイプいます。
    タイプ1は、私の様に認めてそうなのか?と正しく体験者の話を聞こうとする人です。
    タイプ2は、S教授のように「虐待」の言葉にやたら反応して、自分を強く見せて相手を攻撃しようとするのです。
    このタイプ2は、とても弱い人間で、攻撃されないように「犬がほえる」ような感じでなんでもない事に過剰に反応してしまうのです。
    そこには「ここだけは触れたくない」「ここだけは触れないで」と言う弱みがあるからです。
    そしてこのタイプは地位や名誉の肩書き、もしくは肩書きを持つ人の言葉に依存します。
    またお金がある事などに依存して、自分を誤魔化して生きているのです。
    そしてこんな人ほど案外ロマンチストで、母親を異常に美化したいと思っています。
    だからこそ「被虐体験」が認められないのでしょう。
    そして往々にして男性に多く、それも団塊の世代に多くみられます。
    そしてこのタイプが「僕は虐待なんて無縁だから」と偽りの仮面をかぶっているのです。
    しかし、本当に無縁な人間は「虐待」の文字や言葉に無反応で、興味のある人は、知らない世界だから正しい知識を得ようと努力してくれます。
    また虐待に無縁で興味のない人は、全く無関心でこのような話は聞き流します。
    そこでもう一度、S教授との会話をカウンセラーの立場から分析してみますと、
    S教授の会話で「体験のない労働者階級は革命ができないってことだろ、あんたの言ってるのは」の言葉に、教授は革命世代かもしれないでしょうが、私は革命なんて起こしたくもないし、過去の日本の歴史を見たり世界を見て、何で革命をしなければいけないのか?とS教授の支離滅裂な言葉におかしさの感情が込み上げてきました。
    ですがS教授は、出来る事ならば自分が革命を起こして今の日本を変えたいのでしょう。
    そして地道に陰で活動していても報われないのはまさに、S教授自身なのです。
    また極めつけは、S教授が私に向かって言った、
    「あんたには私の体験は聞いてほしくない」この言葉です。
    どうして私が教授のカウンセリングをここでしなければいけないのでしょうか。
    関西にこんな笑い話があります。
    ある根性無しのヤンキーのお兄さんが喧嘩相手に興奮して「俺誰やとおもてんねん」と言いたかったところ、緊張していた為に「俺だれやねん?」と言ってしまったそうです。
    そこで言われた相手は「そんなんしらんがな?」と言い返しました。
    教授の捨てゼリフがその笑い話を私の中で連想させて、私は笑いをこらえるのに必死でした。
    人は無意識に、常日頃心に思っていたり考えている言葉を口にすることがあります。
    特に興奮すると、より素直に本音を吐露するのです。
    このS教授は私に、自分の辛かった体験を聞いて欲しかったのでしょう。
    だからとっさにそのような言葉が出たのだと思います。
    普通に考えれば、何故私に向かって「自分の体験は聞いてほしくない」なんて言葉が出るのか?
    おかしな話です。
    例えば、子供が好きな女の子を目の前にすると「お前なんか嫌いだ」と言ってちょっかいを出す感覚と同じ現象です。
    特にこのS教授は、地位も名誉もあるのにも関わらず素直に「皆様時間に遅れました、大変申し訳ありませんでした。」の一言が言えない人でした。
    会場に来るなり、「今日のテーマ分からないよ」「腹へった」から始まりました。
    S教授「なんで、そんなにあんた自己中で、自己主張ばっかりしたいの?そんなに誰もあんたをかまってくれないの?」と言いたくなるほど、我儘に育てられた子供のような態度でした。
    「だから今からあんたの話を聞いたげるやんか?」と言いたくなる程、子供じみたタイプに私は驚きを隠せませんでした。
    すでに買ってしまった彼の著書も出来る事なら返本したかったです。
    だってどれだけいいことが書いてあっても、こんな人格を目の前でみせられたら、
    嘘にしか思えないからです。
    そして彼から学ぶことは、何もないからです。
    逆に私のほうが、S教授に一から常識的な挨拶の仕方を教えないといけないくらいです。
    まさに本日のS教授の言葉にある「職業倫理を無くした、馬鹿な国民」は、S教授自身でもあったという事がよく分かりました。
    そのおかげでまた一つ、国立大学の偉い教授が幼稚だという事例が出来たことは、人間の心理を研究している私にとっては、大変喜ばしいことでした。
    しかしS教授のようなタイプはきっと、他の大学にもごろごろ存在していると思います。
    いくら研究が出来、頭がよくても、人とのマナーが幼稚園以下では、人としては最低です。
    まして教育者ともなると果たしてこんな先生は先生として適任なんでしょうか?
    そんな人間が人としての最低限のマナーすらなく、勘違いしているのですから逆に恐ろしい世の中です。
    私はマザーテレサの元で長年ボランティアをされてきた世界的に有名で、偉大な医師と交流がありますが、その方の物腰は低く、多くの人の言葉に耳を傾け、「体験が全て」と語って下さいました。
    マザーテレサは最初から偉大な人間ではなく、普通の人間がこつこつ真面目に自分の信念の元に実践を積み重ねた結果、勝手に周りが評価しただけで、本人は死ぬまでその志は変わらなかったと教えて頂きました。

    また矢沢永吉さんも「矢沢永吉に励まされて」に書きましたように、或る日電話を下さったときにロンドンから帰って来て私からの手紙を受け取り、私に伝えたいことがあったので電話をして下さいました。
    ところが彼は時差ボケで私との電話の際「岡田ユキ」を「岡崎ユキ」と間違えたのです。
    そして私に「大変申し訳ないことをいいました。ごめんなさい」といって謝罪して頂いたのです。
    そこで私は「永ちゃん、別に気にしてませんから」と申し上げたのにも関わらず「人様の大切な名前を間違えるという事は大変失礼な事です。ですから自分はわびて当然のことをしたのです。すみません」といって何度もわびてくださるほど、本当に心があり責任を持って生きている人は、こんなに低姿勢で素直だということです。
    そんな人を大勢見て来た私は、S教授の行為や発言がおかしくてたまりませんでした。
    そして家に帰り「蛸壺」の意味を調べたら(敵の攻撃に対する防御のための小さな一人用の壕。立射用散兵壕 ・読谷村史 「戦時記録」上巻 用語解説より)という意味でした。
    私なら蛸壺みたいなところにかくれずに、生きるか死ぬかの恐怖を抱いて生きるよりは、
    銃弾に当たってあっさり死を選ぶだろうと思いました。
    だって何度死にかけても、生かされてしまう私の運命です。
    生と死は神様から与えられ決められものです。
    どうあがいても逆らえない自分の運命を私は何度も味わったから、いまさら死ぬ事は何も怖くはないのです。
    S教授は「蛸壺」を体験されたのでしょうか?どちらの意味の蛸壺か知りませんが?
    カウンセラーの立場で判断するならば、生きるか死ぬかの体験をしているにはS教授は、根性無しです。
    きっと狭い世界でS教授自身が今も抜け出せずに苦しんでいるのでしょう。
    だから「蛸壺」がトラウマとなり、この言葉が無意識に出てしまうのでしょう。
    きっとS教授はこのブログを見ると思います。
    私がS教授に言いたい事は、日本社会がどうのこうの言う前に、まずはしっかりと自分の過去を見つめて、自分の中にある答えを見つけることが今の貴方には必要だという事です。
    S教授が助けてほしいのならば、私は貴方の手助けをする事はできます。
    ですから勇気を持って、過去をしっかりみつめ、自分を認めましょう。
    そして素直に「助けて欲しい」と言えることが、楽になる第一歩です。

    岡田ユキ

    MASTERキートン File1
    MASTERキートン File1






    投票はこちら

    | ユキ通信 | 14:02 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
    近年の陸上自衛隊生徒は、ここにタコツボを掘れと命令されても意味が分からずに、本当のタコツボサイズの壕を掘って上官に怒鳴られるという事があるそうです。頭上を飛び交う弾をタコツボに入ってやり過ごし、敵の機関銃が焼き付いて銃身交換の隙を付き突撃する。物事にはそれが存在している以上必ず必然性があると思います。市民活動を愚弄する意味でタコツボという言葉を使ったのなら、タコツボに失礼でしょう。戦争の体験もなしにタコツボとはこういう状況だと例えるのは空虚な理論です。だから体験が無いと見透かされてきたので、体験という言葉に異常に敏感に反応されたのかもしれません。
    | Takeshi | 2005/12/06 12:21 AM |

    新藤教授はむかつく人ですね。出来る、大きな成果を出す人って変な人多いのは何故でしょうね。
    | びん | 2005/12/08 6:24 AM |

    takeshiさんへ
    コメントありがとうございました。
    ゆがんだ家庭からまともな自分を取り戻すことは、大変努力のいることです。
    そこには悲しい思いや痛い思いを体験したからこそ、こんな生き方や環境ではいけないと、必死で這い上がれたのでしょう。
    私のような被虐体験者の幼少期は、自分を取り巻く親や大人達が完全に狂ってしまい、間違った事をさも正しいように子供に植え付けています。
    そんな環境から立ち直るためには子供でありながら物事の本質を見抜いていかなければなりませんでした。
    それには幾度の失敗を重ねながら、痛い思いをして「体験」という自分ながらのマニュアルを作っていくことが「虐待死」をまぬがれるための手段なのです。
    takeshiさんのおっしゃっている「タコツボ」はまさに私の「体験」そのものでしょうね!
    今後とも宜しくお願いします。

    びんさんへ
    コメントありがとうございました。
    私は教授と名の付く方を多く知っていますが、まさにMASTERキートンのような葛藤があると思います。
    その葛藤の中で白いものを黒いといえる人間と、キートンのように白いものは白いと言わなくては生きて行けない人間が大きく分かれる世界でもあります。
    日本は権威主義社会である以上、その権威がほしい人はこれからも増えるでしょう。
    しかし、そんな権威に固執しても意味が無いと思える人間も最近は多くみられるようになりました。
    これからの日本は自分達一人一人が正しく人を見られるような「目」を持つことが大切だと考えています。
    びんさん、これからも宜しくお願いします。
    | 岡田ユキ | 2005/12/11 1:56 PM |

    管理者の承認待ちコメントです。
    | - | 2010/10/06 8:57 PM |










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